
今週の17日・18日と1泊2日で 山形県の福井建設さんと合同の勉強会をしました(^^)
場所は紫波オガールプラザです。
オガールプラザが何故うまく稼働しているのか、コンセプトなども含めて建築以外の面でも非常に勉強になりました。
夜は飲みながらマル秘資料で福井建設さんと本音トーク勉強会(^^)b
刺激的なお話でした。
翌日もエネルギーステーションや展示場なども見学してきました。
こういう他の同業者さんとの研修会もいいもんですね(^^)
福井建設さんありがとうございました。
今日・・気づいたのですが、『これはうまいっす』 シリーズで肝心の「リンゴジュース」をご紹介するの忘れてました(><)
(もしくは、カテゴリー分けしないで過去に掲載しているかもしれません)
オイカワリンゴ園さん(ミズサキノートさん)のリンゴジュースは、
普通の100%リンゴジュースと違います。
後味が非常に素晴らしい。
なんでこんなに違うの?・・と不思議なくらいです(^^)
お客様からも「あのリンゴジュースはうまい」と感想を言われます(^^)
我が家の子供も「あ!おいしいリンゴジュースだ!」と枕詞を付けてこのジュースを表現します。
是非、ミズサキノートさんのフェイスブックページからお問合せしてみてください。
https://www.facebook.com/mizusakinote/
↑ミズサキノートさんフェイスブック↑
ACT54:株主総会前のHo建材社長の指示
牧田が重い腰を上げて「㈱木の香の家の社長をしてもいいよ」と言ってくれたので、私は早速Ho建材の社長のところに相談に行きました。株主総会の開催時期の話もあったのでタイミングの良い訪問になりました。
私は、簡単なあいさつを終えて、すぐに本題に入りました。
私「株主総会のお話もあるのですが、牧田が社長をやっても良いと言ってくれました。今後どう進めるのがよろしいでしょうか」
Ho建材の社長は簡略的に話してくれました。
1:E氏と会いたくないのと、そんな会議に時間を使っている暇も無いということで株主総会は欠席する
2:大株主であるHo建材社長の40%の議決権は全て委任状を付けて、私(白鳥)に議決権をゆだねる
3:E氏をどうするか、牧田をどうするかは任せる
4:もし牧田が社長になった場合、株はどうするのかを整理すること
私は、もともと20%の議決権(20%の出資金)を持っていたので、Ho建材の社長の40%の議決権と合わせると、つまり60%の議決権を私1人が持つということになるのです。
「議決権60%」というのを口で言うのは簡単ですが、今まで感じたことのない変なプレッシャーを私は感じ始めました。
自分の判断で人の人生をどうにでも出来てしまう・・という漫画の世界のような話が現実に起きているのです。
私1人が「E氏を解任する」といえば、当然E氏は解任で人生のレールが変わる。
逆に私が株主総会の会議の中で心変って、「E氏は社長続投」と言ってしまえば、E氏は社長の社長を継続できるのです。
私が「牧田を社長」といえば牧田が社長で、心変って「いっそのこと私が社長をする」といえば、㈱木の香の家は、実質、私の会社になるのです。
私は、帰りの車中、「『株』ってこんな恐ろしい社会ルールなのか・・」と、このような境遇になって初めて身に染みて感じることになるのでした。
悪く言えば、私1人の気分で他人を操ったり、他人の人生を変えたりしてしまうのです。
良い気持ちはしませんでした。
私はどういう決断を下して、どう言えばいいのか・・
本人を目の前にして、大ナタを振り下ろせるのか・・
その場で恫喝されて、心変わりしないのか・・
刺さて殺人事件にならないのか・・
不安が増してきました。
私は、早々にもう一度牧田と会うことにしました。
牧田の気持ちの再確認と、『株』をどうするか・・などを整理しないと、自分だけでは最終判断できないと思ったためです。
昔、ホリエモンが株式公開買い付けという方法で、株式会社の筆頭株主になっていった賢い出来事がありました。
その行動には賛否両論があると思いますし、その話の規模とは天と地ほど差はありますが、『株』という社会ルールは私には重いなぁ・・という印象だけは身に染みました。
*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *
大河原町の見学会に遠く、岩手や福島からもお越しいただきましてありがとうございました(^^)
次回は4月上旬に江刺市で見学会を開催する予定です!
一昨日になりますが
息子の中学校卒業式でした(^^)
良いことも、挫折もあり、反抗期もあり・・いろいろあった3年間でしたが
良い先生に恵まれて、真っ直ぐに育ってくれたと思います。
橋本先生ありがとうございました。
ACT53 「動き」あり。
こんな感じで私はE氏と連絡を絶ったまま平穏な日々を送っていました。
初物件の菅原様邸も無事に完成し、お金の回転も小さいですがバランスが取れ、さらに菅原様邸の引渡し間際に仙台のST様邸の着工と、新会社のスタートとしてはあまりにもうまい滑り出しでした。
さらにさらに、菅原さん(現かみさん)の勤め先であった小さなカーテン屋さんで、唯一の同僚であるOiちゃんの実家でちょうど家を建て替えるという話が出てきたのです。
菅原さんが当社をプッシュしてくれて、私はOiさまと打ち合わせをする機会を得ました。
数回の打ち合わせの結果、STさま邸の完成時期である4月頃にOi様邸着工という契約ができたのです。
場所は金ヶ崎町、規模はなんと・・平屋70坪でした。
まだ駆け出しでアパートの一角を事務所として使っていた個人事業の私に、70坪もの家づくりを依頼してくれたOi様には本当に感謝でした(><)
会社が軌道にのるかどうかの大事なスタート時期に、私はかみさんに2度も助けられました。その後、カーテン屋さんのお客様宅の自宅リフォームも受注させていただき、計3度も会社のスタートダッシュの仕事を得ることが出来ました(足を向けて寝られません)。
菅原さま邸の建て替えのタイミングだけでもビックリしましたが、カーテン屋さんの唯一の同僚の家づくりもこのタイミングに重なったことで、本当に「流れ」が正しかったんだなぁ・・とつくづく思わされました。
STさま邸の着工は12月頭でした。そのために業者さんとの工事打ち合わせなどで仙台に行く機会が増えていた11月、ついに「動き」が起きました。
牧田から私に電話が入ったのです。
第1期の決算報告を兼ねた株主総会の話で打ち合わせがしたい・・という内容でした。
E氏と会うのは避けたかったので、牧田と私と2人で総会日程など打ち合わせしようということになりました。
仙台市内のファミレスで、久しぶりに牧田と昼飯を食べながら話をしました。
総会の日程調整などの雑談をしながら、私は切り出しました。
「どうだ?そろそろ住宅業界も分かってきただろうし、社長する気ないか?」・・と。
牧田は、少し考えながら「俺は、株の1割しかもっていないから決められない。やれと言われればやってもいいよ。」と初めて言葉にしました。
うわさ通り、相当ストレスがたまっていたのでしょう・・。
今までは、「住宅業界が分からないから」という理由で代表を引き受けてきませんでしたが、E氏と2人になったここ2ヶ月の間に、決断せざるを得ないほどの境遇だったと感じました。
次の一手をどうするか・・私はHo建材の社長に相談に行くことになるのでした。
*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *
待望の書籍が届きました!。
新住協を長年支えてきて、多くのビルダー、多くのユーザーさんとつながっている会沢さんが
このたび、キューワン住宅で暮らしているユーザーさんをまわって、
その生活シーンを聞いてまとめた本が発売されました!
アマゾン 書店でも購入できます!
木の香の家では購読支援プロジェクトを開始しました。
プレゼントコーナーをご覧ください(^^)b
灯台下暗しですが・・
先日、事務所の目の前にあるさくらの百貨店の4階にある『インド料理店』に
スタッフ全員で行ってきました(^^)
インド人?の定員さんが「いらっしゃいましぇ~」とお出迎え。
恐る恐る ランチを ナン&カレー頼んだら
予想外にうまい! 焼きたてのナンを食べるのは初めてかも(^^)b
食べかけてから、「うまい!」と気づいて写真を撮りました(><)
数日後・・1人でまた食べに行ってました(^^;)
今度、子供と行ってみます(^^)
ACT52 「沈黙の艦隊」になっていた本当の理由
私は、E氏のメールや着信に反応していられない理由がいくつかありました。
一つは、彼女の実家の建築工事で図面を描いたり現場に行ったり、資金回転をさせながら自己流の経営手法を模索する日々を送っていましたし、それと同時に時々仙台市に行っては、ST様と家づくりの打ち合わせをしていました。
そんな本業を軌道に乗せることに神経を注いでいましたので、E氏とのやりとりで集中力を散漫にしたくないという思いがありました。
そして、実はそれ以上にE氏とやりとりしている気持ちになれない出来事が仙台市で起きていたのです。
それは・・
『ベガルタ仙台』なのです。
その年のベガルタ仙台は、『初』のJ1昇格へと快進撃中だったのです。
「一生J2」と言われていた弱小ベガルタ仙台でしたが、清水秀彦監督を擁して、長身FWマルコスを獲得したことで一気に強くなり、『初』のJ1昇格へものすごい盛り上がりを見せていました。
サッカー好きの人は理解できると思いますが、地元のチームが『初』のJ1に上がるということは、想像以上のパワーと高揚感が日常的に起きてきます(個人的にも地域的にも)。
私は『ベガルタ仙台』の前身である『ブランメル仙台』のころから見ていましたので、その弱小チームがJ1に上がれるのか・・という期待感と高揚感を阻害されたくないという思いが非常に強かったことを覚えています。
そんな前向きなムードは、私の再独立への恐怖心を打ち消すのには十二分な後押しでした。「なんでもうまくいく」・・という『根拠のない自信』が体から溢れてくるのです。
正直言って、E氏のつまらない株の話になんか時間を裂いている暇は無い!ベガルタ仙台のように勢いに乗って前を向いていきたい・・という気持ちの方が勝っていました。
自由に仕事をして、なんとか生計が立てられて、自由にサッカー観戦に行って趣味に時間が使える。本当の意味での独立した気分でした。「マジですがすがしい」と感じた日々を送っていたのです。
話は変わりますが、ちょうどそのとき10年ぶりの同級会がありました。厄年の同級会だったと思います。
久々に友人や恩師とも話をする機会がありました。
その中で恩師との会話で今でも覚えている話があります。
恩師であるO先生はこんな話をしてくれました。
O先生「水面に桶が浮いている。その桶の中にコップがあり、そのコップには水が入っている。欲を出して、『その水は全部俺のだぁ!』と桶を強く引っ張ると、コップは倒れて水は反対側にこぼれてしまう」。
会社を始めた私へ、O先生なりのアドバイスでした。
そして、この話を聞いたとき、桶を引っ張った人間がなぜかE氏と重なりました。
良いタイミングで良い話を聞いたと心から思いました。
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