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木の香の家

代表白鳥のブログ

【 流れに従って生きる ACT60(第1幕 最終話):「オンリーワン」


ACT60 (第1幕 最終話):「オンリーワン」

 


 
 いろいろな試練を乗り越えながらも、2001年 私は本当の意味で独立することができました。

 Ho建材の社長はじめ多くの方のご協力もあり、多くの困難を乗り越えることが出来ました。

 新会社のスタートダッシュには菅原さん(現かみさん)の人脈営業力という幸運にも恵まれました。


 

 

 新会社のスタートは順調と言えるものだったと思います。

 そんな穏やかな気持ちで仕事をこなしている土曜日の昼です。

 

 当時視聴率の高かったテレビ番組、「どっちの料理ショー」の再放送(1999年9月放送の再放送)をしており、たまたま昼ご飯を食べながら1人でそのテレビ番組を見ていました。

 


「食材のテーマ」が、「鶏肉 vs 豚肉」・・ということで、ふと気になりテレビ画面を見ていました。

 


「偶然だけどHAさんの牧場と同じ食材だなぁ・・。HAさんの牧場もいつの日か、特選食材としてこの番組で出演してくれればいいのになあ・・。」と、ボーっと見ていました。

 


ところがです。

 

その再放送の「どっちの料理ショー」の特選食材の供給先として登場した牧場は・・、なんとHAさんの牧場だったのです。

 


あまりの唐突な展開に、口の中に入れたお米を噴き出してしまうほどびっくりしました。

HAさまとの家づくりの打ち合わせの時期に、そんな話を一度も聞いていなかったのです。

 


 「すぐに菅原さんに電話しなきゃ!」と即座に思いました。HAさんがどういう人だったか菅原さんは知らなかったためです。
ところが、HAさんの牧場がテレビに登場すると同時に、偶然、菅原さんの方から電話が掛かってきました。

 

 私は大声で「今、家!? テレビ見てるか!?」

 

 菅原さん「家だけど、テレビ見てないよ」

 

「早くテレビつけて、どっちの料理ショーつけて!!」

 

「え・・え・・」

 

 ちょうどそのタイミングで、テレビ画面に亡くなられたHAさんが映ったのです。

 


私「この人が、前に何度も話していたHAさんだよ。まさか、今日テレビに映るとは思っていなかった・・」

 

 

 

 

そのとき、私は、菅原さんと結婚するんだな・・と直感で思いました。

 


そして、2002年の日韓サッカーワールドカップの年に私たちは結婚しました。

 

 

 ところが、長男が誕生する2003年の冬2月ごろ、焦る時期がありました。

  

 春からの仕事が全く見えてなかったのです。

 

 子供が生まれるのに仕事が見えない・・。


 正直、焦りました。

 

 


 住宅の路線が世の中のニーズと合っていないのか?

 私の宣伝方法がおかしいのか?

 

 ローコスト規格商品で進むべきなのか・・。このまま、お客様がこだわる住宅で進むべきなのか・・。世の中は、どっちを必要性としているのか・・。

 

 ホームページの表現方法、チラシの出し方に自信はありました。しかし、結果が見えてこなかったので、悩んでました。まさに「どっちの家でショー」・・である。寒っ(‐_‐;)・・・。

 

  


 しかし、またも救われることになるのです。

 


 子供が運を持って生まれてきたかのように、長男が生まれて2週間後の見学会で、一気に5軒もの契約が見えたのです。

 以前からホームページを見てて、見学会を機に相談に来たというお客さんがたくさんいました。

 

 


 仕事が見えないプレッシャーから解放された思いで、精神的には、またしても九死に一生を得た感じでした。

 


 創業時は、かみさんに助けられ、2年目の危機は子供の運に助けられました。

 

 

 


 雪が融け始めた3月・・。私は、HAさんのお墓の前にいました。HAさんの命日に、「なんとかやってますよ」という近況報告をしたかったのです。

 


 そのお墓のとなりには大きな石碑が立っており、そこには町長からHAさんに宛てた文章が書かれてありました。

 

 

 その長い文章の中に、ひときわ目立つカタカタの文字が刻まれていた。

 


「オンリーワン」

 


 生前、HAさんが、事業をするときに常に口にしていた言葉だといいます。いつも、「オンリーワン」でなければならないとHAさんが語っていた・・と、その石碑には刻まれていました。

 

 お亡くなりになったあとも、HAさんには事業の道しるべをいただいくこととなりました。

 


「オンリーワンの家づくり」

 


わたしの目指すものは、このとき、これで決まりました。

 

 

 

****************** 

 

エピローグ 「何かをあきらめることが大人になることじゃない」


 今までの環境から脱却するのは、やはり勇気が要ります。今までの慣れた環境にいる方が、ず~っと楽なのです。私は、そういう人生の岐路に立ったとき、よく聴いてた歌があります。

 

DEENの「少年」という歌です。

(文末にアクセスボタン付けております)

 


その一節の詩が、いつも迷った私を勇気づけてくれました。

「何かをあきらめることが大人になることじゃない。捨てるもの一つもなかった、あの日の僕らのように・・自由に・・」

 

 この詩を聞いて、何のために生まれてきたのか・・、何を残すのか・・、社会的な存在意義は何なのか・・、どう進めば目指すものに近づくのか・・、そんな自問自答を繰り返してきて、直感で感じ取った「流れ」に勇気を持って乗ってきました。

 

 結果として、ここまでは「流れ」に従って正解だったと思いたいです。

 

 そして、今後どういう「流れ」が待っているのか、それも期待して決して焦ることなく平凡に過ごしています。

 

  

 
 今回、このレポートを書くにあたり、自分の人生を振り返る機会を得ました。はじめは軽く書くつもりでしたが、書いていると面白くなってきて、作家になった気分でどんどん書くことになってしまいました。これも何かの「流れ」なのでしょうか・・。

 

 もうひとつの夢である「漫画家」・・。今後の人生でなれるのでしょうか・・。あきらめることなく目指していきたいものです・・。


                          記述 平成17年2月      

 

 

 

 追記:第1幕の「流れに従って生きる」は今回で終了いたします。

    しかし、第2幕の私の人生は、これ以上の波乱に満ちた出来事が次々を起きます。

    人生の第2幕「流れに従って生きる」もまとめていきたいと思います。 

 

 

 

人生の岐路で背中を教えてくれた DEENの「少年」です

 

 

 

 

Posted at: 2018.10. 1(月)

【 流れに従って生きる ACT59:人間、楽しようとすると、その分、苦労する  】

 

ACT59:「人間、楽しようとすると、その分、苦労する」

 


 私は、30歳で本当の独立をすることになりましたが、いろんな会社の失敗例、人の失敗例を間近で見てきました。その多くに共通することとして、ある哲学者の言葉を思い出します。

 

「人間、楽しようとすると、その分、苦労する」

 

多くの人は、机に座っているだけで自分の懐にお金が入ればいいのになぁ・・と考えるかもしれません。


 ○一番最初に勤めたN建設は、役所工事にべったりだったため、名刺配りの楽な営業方法しかしりませんでした。民間での本当の競争にさらされないまま過ごしてきたため、役所工事が減った段階で慌てて作戦を模索しましたが、そのまま解散という結果になりました。

 

 ○次に務めたCホームは、株を上場して、濡れ手に粟のような一儲けしたいという理念のもとに、安売りで地域を荒らしまわった結果、倒産しました。

 

 ○営業マンも、「安ければ売れる」という発想で、安易に儲けがなくても契約するという路線に走りました。もちろん、「安ければ売れる」のは当然なのですが、「安くて売れるなら営業マンは要らない」のです。結局、営業マンは自分の仕事を失うという結果になりました。

 

○E氏は、有能なロボットを従えて、自分の寝ている間に稼ぐような仕組みをつくりたいと考え、その仕組みづくりに苦労して、結局、ダメにしてしまいました。

 


 
同じように、楽しようとして、結果的にその何倍も苦労する人も多く見てきました。

 

○ 実行予算なんて作るの面倒だから、余ったのが利益だ!・・と、どんぶり勘定で切り盛りする。→結果、残る利益が少ないか、赤字で会社が倒産する。

 

○ 営業したくないから、楽して仕事を取れる方法を教えてもらいたいと考え、500万円を支払って甘そうなシステムに手を出す。→自分の理念と合わないノウハウを教えてもらっただけで、うまく受注できない。500万円の損失。

 


○ 細かい図面を引くのは面倒なので、現場での口先指示だけで済ませたい。結果、納まりの不具合が生じて、手直し工事が発生し、利益が減っていく。

 


全て、「自分で○○をしたくないから、できれば楽したい」・・なのだなぁと感じてきました。

 

 「作業の効率を良くすることで楽する」のと、「めんどくさいから手を抜いて楽する」のとでは、ちょっと性質が違うと思います。

 


 直接は関係ないですが、「ねずみ講」でも、「マルチ商法」でも、「楽して儲ける」の言葉にだまされて、結果ものすごい苦労を背負い、友人を失っています。

 

 だから、私は「努力すれば、報われる」という理念でがんばっていこうと思いました。

 


 経理もする。営業もする。営業ツールも作る。図面も何回でも描く。実行予算もつくる。模型もつくる。カラースケッチも描く。詳細図も描く。現場には職人より早く行く。漫画も描く。講習会の依頼が来れば期待以上の講演をする。原稿依頼があれば、「またお願いします」と言わせるくらいの内容で書きあげる。クレームが出れば床下にももぐる。近所からクレームが出れば、頭を下げに行く。ホームページもこまめに更新していく。とにかく、楽しようとしない・・。

 

「10期待されたら、12で応える」です。

 こうやって、まずは全てを自分でやっていくと、やはり問題が起きたときに、その原因が手に取るように分かってきます。努力してお客様と打ち合わせすれば、仕事にもつながると思います。

 

 現在では、ある分野で任せられるものをスタッフに分担していますが、経験したことないものを尻込みして最初から任せることはしていないつもりです。

 

 

ただ・・ときどき「楽しようとして苦労している」こともあります。

そのたびに思い出します(--;。

 

 

「人間、楽しようとすると、その分、苦労する」

 

  


*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *

 次回最終話です

Posted at: 2018.9. 1(土)

【 流れに従って生きる ACT58:ものすごい偶然・・そして終焉  】

 

ACT58 ものすごい偶然・・そして終焉

 

 2人だけの株主総会の翌日、STさま邸の建て方の日がやってきました。

㈱木の香の家を改革する一連の行動の最終日に、STさまの建て方という日が重なったことも不思議な感じでありました。

 

 

しかし、この日はそれだけではなかったのでした。

  

建て方開始前の 私とT大工さんとのやり取りからそれは始まります。

 

 その日は、少し早めの7時半に現場に着いて、コーヒーを飲みながら前日の株主総会の報告を30分くらい話し込んでから建て方作業をスタートするつもりでした。


T大工さん「昨日、2人で株主総会なんて命拾いして良かったなぁ」

  私  「ホントですよ。事前の妄想では生きるか死ぬか・・血を見るかどうか・・と怯えてましたが、結果的にはすべて杞憂に終わって、あっさり代表解任が決まってよかったです。」

 

T大工さん「今から、『昨日のは無しだ!』とか言ってひっくり返しに来ないの?」

  私「無理でしょう。株主総会で決まったことですし、既に筆頭株主のHo建材の社長にも報告済みなんですから」


 
T大工さん「だったらよかった。これで、前向いて進めるね」

  私 「ほんと、肩の荷が1つおりました(^^;)。多分、今日の夕方に会いますけどね。」

 

 


T大工さん「ところでさぁ、今後の現場での建て方のときなんだけど・・、やっぱりクレーンは俺が使い慣れているクレーン屋ではダメなのが?」

  私 「ん~・・。できれば、㈱木の香の家のOBさんのクレーン屋さんで行きたいですね。」

 

T大工さん「でもなぁ・・クレーンと大工ってある程度、呼吸もあったり、無理も言えたりすることで工事がスムーズに進むんだけどなぁ・・」

  私 「㈱木の香の家に在籍していたときに、少なくともそのお客様の工事で給料もらったということにもなるので、出来ればOB様の事業を応援したいですね。」

 

T大工さん「それじゃ仕方ないなぁ・・。気が合いそうなクレーン屋だといいんだけど・・」

 

 

 

 
  こんな会話をしながらコーヒーを飲んでいると、朝8時ころに、少し遅れてWGさんがクレーンを運転して現場に近づいて来ました。

 私は、WGさんのクレーンを運転する姿は初めてだったので、打ち合わせの普段着とは違う不思議な印象でした。

 クレーン車のボディーには大きく WGクレーン と書いてありました。

 

そして、現場に着きそうなタイミングで減速し始めたとたん・・

  


T大工さんが口にくわえた缶コーヒーをこぼすような勢いで、驚いたように叫んだのです。

 

「白鳥さんのクレーン屋て、こいづが!?」・・と。

 

 

私 「そうですよ。」

 

 

T大工さん「こいづ、おれのクレーン屋だ!」 

 


私 「え!?マジすか?」

 

 


WGさん「あれ?Tさん・・。なんで、この現場に居るの??」

 

 


T大工さん「なんでもかんでも、俺がお世話になっている人って白鳥さんだ!」

 


私「なんだぁ・・。知り合いだったんですか!」

 


私「WGさんにあの時、『私が依頼している大工さんはすごく丁寧ですから、私の依頼している大工さんでWGさんの家づくりをお願いします』って言ったのは、実はT大工さんのことだったんですよ!」

 

WGさん「え!?俺もだ。俺の知っている大工使ってくれ・・って言ったの、Tさんのことだったんだ!」

 

T大工さん「WGさん、木の香の家で自宅建てたの!?言ってくれれば良かったのに!」

 


WGさん「あのとき、10月ころ内部造作してもらいたい現場あるんだけど空いてない?・・て聞いたじゃない・・」

 

T大工「だって、自分の家だなんて、一言も言ってなかったじゃないか。しかも  木の香の家 って名前を少しでも言ってくれれば・・」

 

 


その後は、このものすごく長い時間の中で絡まった糸をときほぐすような話で、しばし現場はスタートしませんでした。

 

 

 それにしても、百万都市仙台市には大工さんが数千人はいると思います。

 

クレーン車も数百社あると思います。

 

特にWGさんは塩釜市という仙台の2つとなりの市でクレーン会社をしています。

 

 そんな中で、WGさんの家づくりを依頼する大工さんを、私とWGさんが同じT大工さんを指名して、おのおの裏で交渉していたとは・・こんな偶然あるのでしょうか・・。

 


 何百人という大工さんを知っているWGさんが自分の家を任せたいと指定したのがT大工さんだったことが、私はうれしく感じました。

 

 


 その日は、私がWGさんにE氏の解任を説明するまでもなく、T大工さんからWGさんに真相を伝えてもらいました。

 帰宅するとき、WGさんはクレーンを現場に置いて、T大工さんの車に同乗して帰りました。翌日もクレーン作業があるためです。

 


私からT大工さんに事の真相を伝える依頼したわけではないですが、話してくれていることは今までの付き合いから分かっていました。
 

 

 

 この「ものすごい偶然」と「それを解きほぐす解析」は、まるで一連の会社設立から改革に絡むどろどろとした糸を解きほぐし終焉を迎えるその日には、本当にふさわしい出来事でした。

 

今日という終焉の日は「流れが間違っていなかったんだ」とつくづく感じました。 

 

 

 案の定、その日のうちにE氏から電話があり、私は、夕方会社へ会いに行きました。

 

E氏は、その日の午前中は落ち着いていないようでしたが、午後には気持ちの整理がついたみたいで、全て(社長解任)を了承しました。

 


 そして、持ち株を牧田以外の全員が抜いて、牧田の親類で株を引き取ってもらうことで、株式会社木の香の家の一連の騒動は本当に終焉を迎えました。

 

 


 こうして2002年2月、仙台市には牧田が代表の(株)木の香の家 が誕生し、岩手県には私が代表の 木の香の家-木精空間-が誕生しました。

 

 

 共同経営とは、いろんな人が言っているように本当に難しいです。多分、最初から私と牧田の2人で会社を始めていても、数年後には途中で空中分解して、どろどろした関係になっていたと思います。

 

 
 最終的にこういう形で牧田と私が各々の城を持って落ち着いたのは、遠回りだったようで、実は、最短距離を走っていたような気がしました。

 

 

E氏は性格的には合いませんでしたが、数値の細かさや先を読む金銭感覚は経営の勉強にもなったことも事実です。私の人生のレールの中では存在してくれてよかったのだと振り返ると感じます。

 

 

いろんな面で、やっぱり「この流れ」も正しく、「そこにも存在する意味」はあったのだと。

 

 

*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *

 

 

Posted at: 2018.8. 1(水)

【 流れに従って生きる ACT57:株主総会 】

ACT57  株主総会

 

 株主総会まであと1~2時間となったとき、牧田から電話ありました。

 

 電話の内容は、E氏からの「株主総会の開催方法について」の意見だと気づきました。

 


 
 私はE氏と株主総会の日まで一度も顔を合わせることなく、電話やメールも無視し続けていました。

 

 どんな揺さぶりにも耐えて無視し続けました。

 

 そんな怒りを買うような関係の上、よりによって株主総会の日にST様邸の土台敷を見に来て「白鳥に客取られたぁ!」と激怒していたE氏なのです。

 

 完全に火に油を注いだ状態で、メラメラを沸騰していることは想像できました。

 

 きっととんでもない先手を打ってくるだろう・・という恐怖を感じていたので、私は心臓が止まる思いでした。

 

 

 牧田からの電話内容は、あまりにも想定外なものでした。

 

 

 

牧田「今日の株主総会・・」
 
 
 
  

 


 
  「Eさんが・・」
 
 
 

 

 

 

 
 
 「Ho建材の社長と顔合わせるの嫌だから欠席するって・・」

 
  

  

 


私 「・・・」

 
 

 

 
 
私 「はぁぁ!??」
 

  

 

 


 
牧田 「Eさんから、『決算書見せて説明して来い』って言われたよ」
 
 

 

 

 
 
私は、へなへな・・と、腰が抜けるような感覚を持ちました。 

正確に言うと、心の中で腰は抜けていました。
 

 
 
どこかで拍子抜けし、どこかで安堵して、何とも言えない複雑なモヤモヤ感が湧いてきました。
 
 最終的には「安堵感」が心と体の中を埋め尽くしました。

 目の前の景色が、急に明るく見えました。青い空も緑の木々も不思議と明るく見えました。 

 

 

 E氏にHo建材の社長が株主総会を欠席する話はしていなかったことが、思わぬ効果を発揮しました。 


 
 
  

 結局、株主総会は、私と牧田の2人だけで、ファミレスで行うこととなりました。

 いろいろ事前に考えて刑事事件の想定も立てていたのに、肩透かしをくらった株主総会になりました。

 牧田から決算書をもらって、私からE氏の社長解任議案の文章を手渡しました。欠席裁判という形になりましたが、欠席した者が悪く、委任状で60%の議決権をゆだねられていたので、もちろんスムーズに成立しました。
 
 

 

 こんなに荒れること無くこの議案が決まるとは、まったく想定していなかったうれしい出来事でした。

 

 


本当にあっけないものでした。

 


2人は、この拍子抜けにニコニコしながらコーヒーを飲んでいました。

 


 しかし牧田には心配事がひとつあるという話をされました。


牧田「今まで建てたお客さまが動揺しなければいいがなぁ」・・ということです。

 

たまたま偶然ですが、翌日からSTさま邸の建て方だったので、「クレーンはWGさんに頼んであるから、WGさんにはそれとなく言っておくよ」と私は伝えました。他のお客様にはお手紙すれば大丈夫だろうということで話はまとまりました。

 

 

 そして、翌日、牧田から緊急議案の決議をE氏に伝えるということだったので、

E氏から私に電話があるだろうとことも話し合いました。

 

多分、一度、3人で会うことになるだろう・・と。

 

 

明日が、本当に最後の日であることを牧田と確認しました。

  

  

 

 

 


 しかし、この最後の日に、全く想定していなかった・・ありえない出来事が起こるのでした。
 

 

 

 

*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます * 

 

Posted at: 2018.7. 1(日)

【 流れに従って生きる ACT56:株主総会の日 】

 

ACT56:株主総会の日

 

 2002年1月下旬。

 とうとう株主総会の日が来てしまいました。

 
 株主総会の日は、なんとST様邸(仙台市青葉区)の土台敷きの日に重なりました。


これも不思議な縁なのでしょうか・・。

 

 

株主総会はその日の夕方からでした。

 

私は朝から緊張しており、朝ごはんも喉を通りませんでした。

その日は11時頃にST様の現場に行き、土台敷きで時間を潰しながら、気持ちの整理をして夕方の株主総会に行こうと決めていました。

 

そんな緊張していた朝9時頃です。

 
現場で土台を敷いていたT大工さんから私に電話が入りました。
  

T大工さん 「いま、例の社長(E氏)が現場の前を車でゆっくり素通りしながら工事看板なんかをじろじろ見て行ったぞ!」

私 「まさかぁ・・。現場の場所は知っているはずだけど、契約を断られたお客さん(ST様)の偵察にいちいち来ますかねぇ。」

T大工さん 「いや、あの目は忘れねぇ!間違いない。やつだ!」

 

 私は背中に寒いものを感じました。

 

 

 真相を確かめるべく牧田に電話をして聞いてみると・・、E氏は本当に現場に物色に行ったようで、事務所に戻ってから「白鳥に客取られたぁ!」と怒鳴っていたという話を聞きました。

 

つくづく執念深いと思わされました。

 

 また、そんな怒鳴っている精神状態の中で、株主総会による社長解任の緊急議決なんかしたら、本当にブレーキが壊れた暴走車のようになって、E氏は包丁で私の体を斜めにメッタ切りするのではないか・・、そんな想像が湧いてきて、私は急に震えるような症状に見舞われました。

 

 株主総会は夕方からでした。

 以前にも述べましたが、Ho建材の社長は、「もう、自分が出るべきことでもない。4割の議決権を白鳥君にゆだねる書面を書くから、あとは3人で決めなさい。」と株主総会の欠席を決めていました。

 社長の身の安全を考えれば、そのほうがいいと思いました。

 


 11時頃に現場についてT大工さんと株主総会についての話をしている間も恐怖感は消えませんでした。

 T大工さんからも「とりあえず命だけは落とさないように逃げるんだぞ」と縁起でもない応援をいただきました。

 


 私「よりによってこんな日に、この現場を見て怒鳴っていたみたいだからタイミング悪すぎですよね・・。

   E氏がなにか企んでくるかもしれないですよ・・(;_;)。ホント死にたくないですよ」

 


 私が心配したことは、頭に血がのぼっているE氏が、夕方の株主総会までの間に先手を打って、私をおとしいれる画策をしてくるのではという可能性でした。

「客取られたぁ!」と激怒していたのであればやりかねない・・(--;)

 


 昼ご飯は、緊張のあまり喉を通らず、結局 朝食・昼食ともとらず、しかし空腹感も感じず緊張で胃がいっぱいの状態でした。

 

 時間は午後2時・・午後3時・・と、刻一刻と恐怖の株主総会の時間に近づいてきました。

 


 E氏が何かを企んでいるのでは・・という恐怖感で胃が痛くなる思いでした。

 

 


 そして4時頃、ついに牧田から電話が入りました。

 


 株主総会の具体的な最終確認だと察しました。

 


 私「もしもし?」

 

 私は震える声で電話に出ました。

 


 牧田「ああ俺、株主総会の件でちょっといい?」


 牧田の声は少し重く感じられました。

 

 


 私はドキドキしながら「う・うんいいよ。」

 


 牧田「株主総会の件でEさんから・・」

 

 

 


 私は生唾を飲むような感じで何か企てられるのかと緊張感MAXになりました。

 

  

 


そして次の瞬間、想定外の電話内容に驚くことになるのでした。

 

 

 

 

 

*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *

 

 

Posted at: 2018.6. 1(金)

【流れに従って生きる ACT55:株主総会のシュミレーション】

 

ACT55:株主総会のシュミレーション

 

株主総会の議決権60%を持つことになった私は、不安感と『恐怖感』も持ちつつ牧田にHo建材社長の考え方を説明しました。

 

その話を聞いた牧田は腹をくくったようで、牧田が代表を継いだときの拠点となる事務所の事や、どのタイミングで株主総会をするのかなどの調整に入りました。

 

そして、その後、数回の打ち合わせを経て大筋の話が決まりました。


〇 株主総会は年明けの1月下旬。場所は、会社と決まりました

〇 新しい事務所は、牧田が社長となる「㈱木の香の家」 と 私の「木の香の家‐木精空間」 と 時々出演する「(有)エコプロジェクト」KAさんの3社でシェアしようとなりました。

 

〇 さらに、異例の注意点も打ち合わせしました。

それは、「印鑑と通帳の没収方法」と「各々の避難経路」です。

 


 社長解任という緊急議決が決議された際・・、もしE氏が大声で喚きだしたら、私がなんとか時間を稼ぎ、その隙を見て牧田は『印鑑と通帳』を2階の机から取り出すること。そして・・もう1つ、キッチンの包丁やナイフは牧田が事前に隠しておくこと・・です。

 
この2つは、とても重要な打ち合わせ事項でした。

 
 今までの行動から予測するに、E氏が逆上して通帳と印鑑を持って恫喝して手離さない可能性も考えられました。また、頭に血が上ったE氏が、包丁を振り回して刑事事件に発展する可能性も否定できなかったからです。

 

私も、いざというときの避難経路をシュミレーションしました。

 

 

 牧田が通帳と印鑑を取り上げたら、牧田は玄関ドアから・・俺はテラスドアから逃げるのかなぁ。時間稼ぎの会話次第では2階に行かざるを得なかった場合は、どの窓から逃げるか・・、恐怖のあまり腰が抜けて動けなくなったらどうしよう・・など、こんなところで命を落とすわけには行かないと真剣に逃げ方を考えました。

 
こんな計画を立てる株主総会なんて・・と、どきどきして打ち合わせしていたことを思い出します。

 

  

* * * * * *


 話は変わりますが、牧田との会議のなかで塩釜市のクレーン屋さんWGさまの現場の話にもなりました。


私「そういえばWGさまの現場、T大工さんがダメになって、結局WGさんのお勧めする大工さんで建築できたの?」

 

牧田「それが、WGさまのお勧め大工さんも忙しいということで、結局、こっちの伝手で紹介してもらった大工さんで施工したんだ」

 

 私「そっか、いずれにせよ完成してよかったよ。今度から仙台の現場で建て方するときにはWGさまにクレーンをお願いしようと思っててさ。WGさまの打ち合わせ途中で俺は会社を辞めたけど、一時期給料をもらっていた恩はあるからね。円満に完成したのであればクレーン依頼しやすいや」

  

* * * * * *

 


 この会議の翌日から、私はST邸の現場の基礎工事を見ながら新しい事務所探しをしました。

 

 いろいろ探していると、1ヶ月くらいでようやく3人の都合に良さそうな物件が見つかりました。そのビルがある場所は、牧田は徒歩で通える範囲、KAさんも自宅から車で5分、そして、私の最大のメリットはサッカー場の仙台スタジアムまで歩いて5分の立地条件でした。


 その年ベガルタ仙台は、みごとJ1に昇格し、私は翌年の年間シートを買うつもりでした。そのため、会社に駐車してサッカーを見に歩いていけるこの立地は、私にとって非常に都合よかったのです。しかも、ビルの2階といういい場所で眺めもいい。たまたま1ヶ月前にそこを借りていた会社(塾)が手狭ということで、4・5階に移ったというのです。ある意味出世部屋です!。

 家賃も予想外に安く掘り出し物で、これも「流れ」と思い即決しました。

 これで、牧田が代表になったときの拠点も確保したのでした。

   


そして、ついに運命の株主総会の日を迎えるのでした。

  

 

 

どんな株主総会だったのか・・

 

 


それは次回

 

 


*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *

 

Posted at: 2018.5. 1(火)

【流れに従って生きる ACT54:株主総会前のHo建材社長の指示 】

 

ACT54:株主総会前のHo建材社長の指示

 

牧田が重い腰を上げて「㈱木の香の家の社長をしてもいいよ」と言ってくれたので、私は早速Ho建材の社長のところに相談に行きました。株主総会の開催時期の話もあったのでタイミングの良い訪問になりました。

 

私は、簡単なあいさつを終えて、すぐに本題に入りました。

 

私「株主総会のお話もあるのですが、牧田が社長をやっても良いと言ってくれました。今後どう進めるのがよろしいでしょうか」

 

 

Ho建材の社長は簡略的に話してくれました。

 

 1:E氏と会いたくないのと、そんな会議に時間を使っている暇も無いということで株主総会は欠席する
  


 2:大株主であるHo建材社長の40%の議決権は全て委任状を付けて、私(白鳥)に議決権をゆだねる

 

 3:E氏をどうするか、牧田をどうするかは任せる

 

 4:もし牧田が社長になった場合、株はどうするのかを整理すること

 

 私は、もともと20%の議決権(20%の出資金)を持っていたので、Ho建材の社長の40%の議決権と合わせると、つまり60%の議決権を私1人が持つということになるのです。

 

「議決権60%」というのを口で言うのは簡単ですが、今まで感じたことのない変なプレッシャーを私は感じ始めました。

 

 自分の判断で人の人生をどうにでも出来てしまう・・という漫画の世界のような話が現実に起きているのです。

 

 私1人が「E氏を解任する」といえば、当然E氏は解任で人生のレールが変わる。

 

 逆に私が株主総会の会議の中で心変って、「E氏は社長続投」と言ってしまえば、E氏は社長の社長を継続できるのです。

  


 私が「牧田を社長」といえば牧田が社長で、心変って「いっそのこと私が社長をする」といえば、㈱木の香の家は、実質、私の会社になるのです。

 

 


 私は、帰りの車中、「『株』ってこんな恐ろしい社会ルールなのか・・」と、このような境遇になって初めて身に染みて感じることになるのでした。

 悪く言えば、私1人の気分で他人を操ったり、他人の人生を変えたりしてしまうのです。

  

 

 


良い気持ちはしませんでした。
  

 

 

私はどういう決断を下して、どう言えばいいのか・・

 

 

本人を目の前にして、大ナタを振り下ろせるのか・・

 

 

 
その場で恫喝されて、心変わりしないのか・・

 


 
刺さて殺人事件にならないのか・・

 


 
 
不安が増してきました。

 


 私は、早々にもう一度牧田と会うことにしました。
 牧田の気持ちの再確認と、『株』をどうするか・・などを整理しないと、自分だけでは最終判断できないと思ったためです。

 

 

 昔、ホリエモンが株式公開買い付けという方法で、株式会社の筆頭株主になっていった賢い出来事がありました。

 その行動には賛否両論があると思いますし、その話の規模とは天と地ほど差はありますが、『株』という社会ルールは私には重いなぁ・・という印象だけは身に染みました。

 

 


*【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます *

 

 

Posted at: 2018.4. 1(日)

【 流れに従って生きる ACT53:「動き」あり。 】

 

ACT53 「動き」あり。

 

 こんな感じで私はE氏と連絡を絶ったまま平穏な日々を送っていました。

 

 初物件の菅原様邸も無事に完成し、お金の回転も小さいですがバランスが取れ、さらに菅原様邸の引渡し間際に仙台のST様邸の着工と、新会社のスタートとしてはあまりにもうまい滑り出しでした。


 さらにさらに、菅原さん(現かみさん)の勤め先であった小さなカーテン屋さんで、唯一の同僚であるOiちゃんの実家でちょうど家を建て替えるという話が出てきたのです。

 菅原さんが当社をプッシュしてくれて、私はOiさまと打ち合わせをする機会を得ました。

 数回の打ち合わせの結果、STさま邸の完成時期である4月頃にOi様邸着工という契約ができたのです。

 場所は金ヶ崎町、規模はなんと・・平屋70坪でした。 


 まだ駆け出しでアパートの一角を事務所として使っていた個人事業の私に、70坪もの家づくりを依頼してくれたOi様には本当に感謝でした(><)

 

 会社が軌道にのるかどうかの大事なスタート時期に、私はかみさんに2度も助けられました。その後、カーテン屋さんのお客様宅の自宅リフォームも受注させていただき、計3度も会社のスタートダッシュの仕事を得ることが出来ました(足を向けて寝られません)。 

 

 菅原さま邸の建て替えのタイミングだけでもビックリしましたが、カーテン屋さんの唯一の同僚の家づくりもこのタイミングに重なったことで、本当に「流れ」が正しかったんだなぁ・・とつくづく思わされました。

 


 STさま邸の着工は12月頭でした。そのために業者さんとの工事打ち合わせなどで仙台に行く機会が増えていた11月、ついに「動き」が起きました。

 

 

 牧田から私に電話が入ったのです。

 

 

 第1期の決算報告を兼ねた株主総会の話で打ち合わせがしたい・・という内容でした。

 

 

 E氏と会うのは避けたかったので、牧田と私と2人で総会日程など打ち合わせしようということになりました。

 

 

 

仙台市内のファミレスで、久しぶりに牧田と昼飯を食べながら話をしました。

 


総会の日程調整などの雑談をしながら、私は切り出しました。

 


「どうだ?そろそろ住宅業界も分かってきただろうし、社長する気ないか?」・・と。


 牧田は、少し考えながら「俺は、株の1割しかもっていないから決められない。やれと言われればやってもいいよ。」と初めて言葉にしました。


 うわさ通り、相当ストレスがたまっていたのでしょう・・。

 

今までは、「住宅業界が分からないから」という理由で代表を引き受けてきませんでしたが、E氏と2人になったここ2ヶ月の間に、決断せざるを得ないほどの境遇だったと感じました。

 

  

次の一手をどうするか・・私はHo建材の社長に相談に行くことになるのでした。

 

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Posted at: 2018.3. 1(木)

【 流れに従って生きる ACT52: 『沈黙の艦隊』になっていた本当の理由 】

 

 

ACT52 「沈黙の艦隊」になっていた本当の理由

 

 私は、E氏のメールや着信に反応していられない理由がいくつかありました。

 

 一つは、彼女の実家の建築工事で図面を描いたり現場に行ったり、資金回転をさせながら自己流の経営手法を模索する日々を送っていましたし、それと同時に時々仙台市に行っては、ST様と家づくりの打ち合わせをしていました。
 そんな本業を軌道に乗せることに神経を注いでいましたので、E氏とのやりとりで集中力を散漫にしたくないという思いがありました。

 

そして、実はそれ以上にE氏とやりとりしている気持ちになれない出来事が仙台市で起きていたのです。

 

それは・・

 

 

 


『ベガルタ仙台』なのです。

 

 


その年のベガルタ仙台は、『初』のJ1昇格へと快進撃中だったのです。

 

 「一生J2」と言われていた弱小ベガルタ仙台でしたが、清水秀彦監督を擁して、長身FWマルコスを獲得したことで一気に強くなり、『初』のJ1昇格へものすごい盛り上がりを見せていました。 

 

 

 サッカー好きの人は理解できると思いますが、地元のチームが『初』のJ1に上がるということは、想像以上のパワーと高揚感が日常的に起きてきます(個人的にも地域的にも)。

  

 私は『ベガルタ仙台』の前身である『ブランメル仙台』のころから見ていましたので、その弱小チームがJ1に上がれるのか・・という期待感と高揚感を阻害されたくないという思いが非常に強かったことを覚えています。

 


 そんな前向きなムードは、私の再独立への恐怖心を打ち消すのには十二分な後押しでした。「なんでもうまくいく」・・という『根拠のない自信』が体から溢れてくるのです。

 

 正直言って、E氏のつまらない株の話になんか時間を裂いている暇は無い!ベガルタ仙台のように勢いに乗って前を向いていきたい・・という気持ちの方が勝っていました。


 自由に仕事をして、なんとか生計が立てられて、自由にサッカー観戦に行って趣味に時間が使える。本当の意味での独立した気分でした。「マジですがすがしい」と感じた日々を送っていたのです。

 

 

 


 話は変わりますが、ちょうどそのとき10年ぶりの同級会がありました。厄年の同級会だったと思います。
久々に友人や恩師とも話をする機会がありました。 

 


その中で恩師との会話で今でも覚えている話があります。

 


恩師であるO先生はこんな話をしてくれました。

O先生「水面に桶が浮いている。その桶の中にコップがあり、そのコップには水が入っている。欲を出して、『その水は全部俺のだぁ!』と桶を強く引っ張ると、コップは倒れて水は反対側にこぼれてしまう」。

 

会社を始めた私へ、O先生なりのアドバイスでした。

 

 そして、この話を聞いたとき、桶を引っ張った人間がなぜかE氏と重なりました。 

 


 良いタイミングで良い話を聞いたと心から思いました。

 

 


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Posted at: 2018.2. 1(木)

【 流れに従って生きる ACT51: 『沈黙の艦隊』 】

ACT51 「沈黙の艦隊」

 

 岩手県に戻った私は、『拇印偽造』についてE氏に対して、「抗議」と「株を抜くのがますます困難になった」ことを伝えました。


 E氏に直接話すと、怒涛のマシンガントークで丸め込まれる恐れがあったので、牧田を通しての連絡という形になりました。牧田の存在はつくづくありがたいと思いました(^^;)

 

 そして、その後のE氏からの電話やメールには一切反応しないことを心に決めました。

 


 電話着信やメールに反応していると、E氏は得意の論理展開で私を丸め込もうとする恐れがあったためです。逆に反応しなければ、E氏のストレスがたまって何か再び「墓穴」を掘るのでは・・。そして牧田と決裂するのでは・・という思いもありました。


 E氏の『失敗』や『墓穴』のためとはいえ、不本意ながら『株』を持つ続けることになってしまった私は、その『流れの意義』を考えると、『牧田を牢獄から救出することかな』...と思うようになっていました。また、『木の香の家』という名称を私が使うためにも、牧田が㈱木の香の家の代表になることがベストだと考えるようになっていました。

 

 案の定、E氏は『私が株を抜かないこと』への怒りで、電話やメールを使って揺さぶりを掛けてきました。 

電話着信も毎日のようにありましたが、一切受けることなく無視し続けました。

メールも毎日のように来ました。

その中には「2人(E氏と牧田)の役員報酬を上げて、資本金をE氏と牧田の給料として食いつぶして、赤字決算で会社を1回潰すぞ!そしたら、お前の出資金の返金もゼロ返金だ!」という脅迫メールまでありました。

 

 


 面と向かって言葉で語気を荒げられると少し動揺するかと思いますが、こういうときのメールとは便利です。文章を落ち着いて読めるので、対応もゆっくり考えられるからです。

 

 

ゆっくり考えた結果・・、私は、それも無視して反応しないことにしました。

 

 しばらくすると、時々、建材屋さんや友人から「最近Eさん相当イライラして、そっちこっちに不満をぶつけてるみたいですよ。」とか、「白鳥さんが、どんな行動をとっているのか一人で想像して、不安で不安でたまらないみたいですよ。」とか「牧田さんも、だんだん疲れてきているみたいですし・・。」という報告が自然と耳に入ってきました。

 自分で人を操作できないと納得できないタイプですから、そんな感じにイライラしているだろう・・ということは私でも予想していました。

 なんとかして私をあぶり出し、土俵の上で自分の論理展開で丸め込もうとしたかったようです。

 


私は、「もう少し沈黙していよう・・」と思いました。

 


 E氏には私が潜水艦のように感じているんだろうなぁ・・と、漫画「沈黙の艦隊」のイメージと重ねて面白く感じていました。

 


 実はそのときの私は、E氏を無視する理由が2つあったのです。

 

1つは『意図的』に・・ですが、もう一つのほうが実は『大きな理由』でした。


本当にE氏にかまっている精神的なゆとりが無いほどの、タイムリーで大きな出来事が仙台で起きていたのです。

 

 


それは次回

 

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Posted at: 2018.1. 1(月)

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