第14話:パッシブハウス認定を目指しての奮闘記 -その3-
クーラーさんより言い渡された目標数値・・
Q-PEX上で 暖房負荷=5.0 KW/㎡
そんなことできるのだろうか・・と半信半疑な状態で、建物の仕様をいろいろ変えながら、家の性能計算を繰り返していく作業になりました。
サッシについては、UW値=0.8W/㎡Kという高性能サッシが輸入物の木製サッシしかなく、通常サッシの3~4倍くらいの値段がするため、とりあえずサッシ以外でどこまで性能を上げられるか・・に挑戦してみました。
いつも使っている 『樹脂サッシ+トリプルガラス』で、仮に家1軒のサッシ価格が150万円前後だとしますと、全部の窓を0.8W/㎡Kの木製サッシにするだけで、なんと・・サッシ代が500万円前後に跳ね上がるのです(@@;)
非現実的な金額で、とてもやれません・・(--;)
ステップ①:まずは、なるべくプランを変更しないでどれだけ性能が上がるかに挑戦しました。
***** ステップ①の調整内容 *****
ステップ①-1:2階の屋根をわずかですが10㎝上げました。
(冬の日射を少しでも多く取り入れるため。庇の影を極力無くす)
ステップ①-2:屋根の断熱厚さをあと10㎝厚くして、48㎝⇒58㎝にしてみました。
(単純に断熱性能UPのため。)
【ステップ①による計算結果】
暖房負荷12.5KW/㎡→12.2KW/㎡
わずか0.3KW/㎡ですが性能が良くなりました。
【 私の心の中 】
〇 庇による窓に掛かる影を少しでも減らすと効果があるなァ・・
〇 屋根断熱を厚くするのは、20万円くらい掛かりそうだなァ・・
それでも、暖房負荷の数値が減ったことは間違いないので、意気揚揚と次のステップに進みました。
***** ステップ②の調整内容 と 計算結果過程 *****
ステップ②は、本当に細かい寸法調整による性能の変化が見て取れます。
ステップ②-1:まずは、2階の南側のサッシを変更しました。
奥まったサッシはマイナスに作用するということで、全部のサッシを南面に配置して、
1500角の大きなサッシ5台に変更しました。
(風景もダイナミックに取り入れられるし、日射取得もよくなるので。)
しかし・・ここで、プラン上、諦める内容も出てきました。
2階の雨に当たらないバルコニーです。
雨に当たらないバルコニーの場合、出入り用のサッシはどうしても奥まるため日射取得には不利になり、
今回はパッシブ認定を目指すため、やむなく諦めました(;_;)
(当初の2階平面図 概略図)
↓
( バルコニー部分を無くした2階平面図 概略図)
【 計算結果:暖房負荷 12.2KW/㎡→12.5KWと逆に悪くなりました。】
( 窓は大きくしたのですが、庇が深いため、その影の影響によるものです。)
ステップ②-2:その窓に断熱ブラインドを設置
【 計算結果:暖房負荷 12.2KW→12.1KWと改善。夜間のサッシの断熱性能UP 】
ステップ②-3:その窓に影響する庇を20㎝ほど短くする
【 計算結果:暖房負荷 12.1KW→11.9KWとさらに改善。日射取得量の増加 】
ステップ②-4:1階の庇も短くする
【 計算結果:暖房負荷 11.9KW→11.7KWとさらに改善。日射取得量の増加 】
ステップ②-5:北側の子供室のサッシに断熱ブラインドを付ける
【 計算結果:暖房負荷 11.7KW→11.6KWとさらに改善。 】
庇をちょっと短くしたり窓の位置を下げたりすると、暖房負荷の数値が随分良くなるんだなァ・・という印象は持ちました。
************
この間も、サッシをいろいろ調べたり、ガラスの資料を取り寄せたりして、「断熱性能が高く かつ 日射透過率の良い ガラス」 や 「 枠の性能が高いサッシ 」など、ノイローゼになるくらい探して、価格とのバランスを探っていました。
一般的にお勧めできそうなサッシはUW値=1.0くらいが限度で(これでもすごい性能だと思います)。UW値=0.8といのは価格的に負担が大きいので、サッシの答えはなかなか見つけられない状況でした。
さらに、ステップ① ステップ②で「庇の寸法」や「断熱厚さ」、「サッシのサイズと設置高さ」など、10㎝単位で調整を繰り返して、暖房負荷を0.1KW/㎡減らす努力を積み重ねているのです・・。
ボクサーが計量目前で10g体重を減らすには・・と過酷に苦労しているような印象です。
それでも・・右往左往しているのは・・暖房負荷11KW/㎡台・・
とてもクーラーさんの言っている5.0KW/㎡には遠く及びません・・(;_;)
頭が変になりそうです。
多分、クーラーさんが目標数値を勘違いして言ったんだろう・・と思うほど答えが全く見えない状態でした。
つづく
【木の香の家 展示場 兼 実験住宅 物語は 5日 15日 25日 に何とか更新していきます。】
ここから数値の話ですので・・少し難しい内容になります・・(--;)
この住宅業界には、さまざまな住宅性能を計算するソフトが存在します。
〇 新住協開発の「Q-PEX(キューペックス)」
〇 パッシブハウス協会さん開発の「PHPP」(日本版の名称は「燃費ナビ」)
〇 ドットプロジェクトさん開発の計算ソフト
そのほか・・私の知らないものもいろいろ
どのソフトが良いとか悪いとかではなく、どれも住宅の性能を数値化するという意味では今の時代に必要であり、どのソフトも常に変更調整を今でも繰り返しています。
「計算値」と「実際の生活燃費」の誤差を少なくするために・・。
かつ、使いやすくするために・・。
私はQ-PEXを使い慣れているため、このソフトを使って我が家の初期プランの性能を算出してみました。
クーラーさんには最終的にPHPPで計算してもらってパッシブハウス申請に使おうと考えたのです。
Q-PEXによる計算結果は・・
相当延べ床面積 57.28坪(189.74㎡)
暖房負荷 12.5KW/㎡
予想暖房灯油消費量(一冬) 272リットル/一冬
という計算結果がでました(表①)。
【 表① 】
数値の意味は理解しにくいかもしれませんが・・
約60坪弱の家の暖房用灯油が一冬で272リットルですと考えればイメージしやすいでしょうか・・。
灯油1リットルが100円ならば 一冬 27200円の暖房費 1リットル50円ならば 一冬で13600円という 想定が出来るという事です。
もちろん全室暖房で昼夜の平均室温は20℃という仮定です。
すこぶる良い結果だと思います。
ただし、ここまでの燃費にするために仮想入力した断熱材の仕様は
屋根 が 480㎜(48㎝) 高性能グラスウール (下図の赤部分)
天井断熱 が 500㎜(50㎝) セルロースファイバー (下図の緑部分)
壁 が 345㎜(34㎝) 高性能グラスウール (下図のオレンジ部分)
基礎 が 220㎜(22㎝) 防蟻性ビーズ発泡
サッシ は 主に樹脂サッシのアルゴンガス もしくは クリプトンガス 入りのトリプルガラスなどの高性能サッシ
今までやったことのないような途方もない断熱仕様です。
図でイメージするより施工は大変です。
費用も相当あがりますので過剰性能のため一般的にはお勧めしないと思います。
まさに実験と認定取得のため無理してます・・(--;)
この計算結果をもとにクーラーさんにさらなるアドバイスをもらうため打ち合わせをしました。
クーラーさんは「Q-PEX」と「PHPP」の両方の性能計算ソフトを使えるので助かります(^^;)。
しかし・・その経験から、びっくりするような課題を出されました。
クーラーさん 「Q-PEXで計算した結果として、暖房負荷=5.0KW/㎡ を目指してください。5.0KW/㎡になれば、PHPPで計算して パッシブハウス基準になると思います。」
「できれば・・サッシのUW値も、0.8W/㎡K 以下のものがいいですね!」
「暖房負荷5.0KW/㎡に近づけるには・・この図面で言いますと・・云々・・」
私 「 ・・・ 」
「これだけの仕様で計算して 暖房負荷 12.5KW/㎡ と算出されたのに・・、
目指すは暖房負荷5.0KW/㎡・・なの(?_?)。」
「 出来るの?・・・ 」
つづく
【木の香の家 展示場 兼 実験住宅 物語は 5日 15日 25日 に何とか更新していきます。】
今回の実験住宅はパッシブハウスの認定取得を目指すという目標を持つことになり、まずはクーラーさんからある程度のコツを聞き設計をスタートさせました。
クーラーさんとの話し合いの中から感じた、「パッシブハウス」 と 新住協で展開している「キューワン住宅」との違いは次のようなものでした。
① サッシのレベルを上げる必要がある。
② 南面の開口をいつも以上に大きくとる設計を意識する
③ 出来るだけ総2階に近い形を目指す
④ 気密ラインの連続にかなりうるさい(「真壁」や「柱あらわしのデザイン」が通りにくい感じ )
あとはキューワン住宅のグレードⅣを建てれば、認定を取れるのではないか・・という感じでした。
私は「そんなに難しくないな」・・という感じでスタートしました。
隣の市でパッシブハウスの認定を取った家があるということを耳にしたので、これだけ日射取得を邪魔するものがない最高の立地条件で、私の今まで培ってきた高断熱知識をもってすれば、認定を取れないはずがないという自信がありました。
そんな意気揚揚で設計を始めましたが、③の総2階 と ④の柱表しを控える ・・というポイントだけは少しだけ崩そうと思いました。
プランの大きな骨格は確かに総2階ですが・・総2階に見えない1階がどっしりしたプロポーションにしたかったのですし、柱を表すデザインもしたかったのです。
理由は次のようなものです。
〇 ドイツよりは気象条件が良いだろうから、総2階でなくとも認定が取れるという事例にしたい。(外観デザイン的に可能性の幅を広げるチャレンジ。)
〇 日本では2世帯住宅もありますし、LDK+和室などが来ることで1階が少し大きなプランが普通に多く存在するため、今後、そんな設計でもパッシブハウス認定取れるという可能性を示したい。
〇 我が家も親と同居する可能性があるので、和室の関係で1階が少し大きくなるため。
〇 日本では真壁という伝統もあります。その日本伝統を拒絶するような認定では今後も広がらないと感じたのです。
そんな理由もありつつ、かみさんとの意見も生かしつつ、パッシブハウス認定取得を意識しつつ、キューワン住宅グレードⅣを意識しつつ、奮闘してできた第1案が下の図です。
(内部の間仕切り壁は消去しております)
プランニングで意識したことは・・
① どれだけダイナミックに風景と冬の日射を取り込めるか(丸印の窓部分など)
② 冬だけのことを考えるのではなく、夏、できるだけエアコンを使わずに涼しい住環境にできるか
(日射遮蔽 と 通風排熱計画)
③ 最近、家づくりから消えつつある「広い軒下」
④ 量産住宅さんでは絶対にしない空間演出(サッシを使わないガラスのみの開口細工)
など他にもいろいろありますが、
「家づくりはこんなことまで可能なんですよ」
「こんなに冒険しても超高性能な家が出来るんですよ」
という可能性の幅を示そうと思いました。
この1回目のプランをもとにクーラーさんとパッシブハウス認定を目指しての
打ち合わせ⇒調整作業 が始まりました。
そして・・ノイローゼになるほどの仕様調整が何度も出てくることになるのです・・(--;)。
つづく
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木の香の家 展示場 兼 実験住宅 建築物語
第11話:家づくり構想-その2-
2013年・・
1月のドイツ視察によるパッシブハウス見学 → 5月のNPO法人新住協でキューワン住宅のおおとりの発表 → 8月~9月土地取得(実家の火事付き)・・と、怒涛の出来事が続いての12月・・・1年の締めくくりのように、私は青森にドイツ視察の補足セミナーを聞きに行きました(スタッフ全員で)。
セミナーをしていただいたのはクーラーアンドレアさんで、ドイツ視察のときに通訳兼解説をしてくれたかたです(写真右の女性の方)。日本の住宅事情にも詳しく、新住協のこともよく知っていらっしゃる方でいろんな意味で貴重な立場の方です。
(ドイツ視察:オーストリア インスブルックでの記念写真)
セミナーの内容も興味を持ちましたが、私は、懇親会のときにこんな話をしてみました。
私:「 新住協のキューワン住宅 も パッシブハウスも 結局のところやっている方向性は一緒ですよね。
我が家の建築で、『キューワン住宅のグレードⅣ』 を建築したら、『パッシブハウス認定』が取れました・・というストーリーは可能でしょうか・・?
そういうストーリーが住宅業界にとってプラスになるんだったら、私は、パッシブハウス認定を目指してみたいのですが・・。」
クーラーさん:「可能だと思いますよ。特に太平洋側は日射も多そうですし、やってみましょうよ!サポートしますよ!」
こんな感じの話を飲み会の間 いろいろさせていただいて、私の家づくりのベクトルはほぼ決まりました。
① 『キューワン住宅 グレードⅣ』を建てることで『パッシブハウス』の認定を取る。
② 面白い空間を創る(高性能だから面白くない家・・は嫌だったので)。
③ お客様の家づくりでは出来ない、さまざまな実験を盛り込む。
1年の最後に大きな方向性を決めれたことは気持ち的にスッキリしました(^^)
そして、正月休みのときに、
私は大きなベクトルを示すコンセプトスケッチを描きました。
玄関ホールのイメージスケッチです。
( 右側が玄関ドア・正面奥がリビングに行くドア・・という感じでしょうか・・ )
テーマは「玄関の中に入ったら・・あれ?・・外?」です。
南側の景色が非常に良い大開放敷地なので、玄関に入ったら「あれ?外?」と思うくらいの大きな窓を設けて、大量の日射取得によるパッシブソーラー効果を最大限生かしていこうというコンセプトスケッチです。
このスケッチで2014年は幕をあけました。
ここからノイローゼになるような「いばらの道」が待っていることも、
そのときは思ってもいませんでした・・。
( クーラーさんと家族で家づくりの相談食事会 )
つづく
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第10話:家づくり構想-その1-
土地が決まったことで、いよいよ家づくりの基本構想がスタートしました。
私は流れに従って生きようとするタイプの人間なので、『この土地になったこと』 や 『ここ数か月の私のまわりで起こっていること』から 自分は何をするべきなのだろうか・・と考えていましたが、その時点である程度の方向性は、ぼや~っとですが感じていました。
〇 実は、その年の1月・・私は、何かに導かれるように10数年ぶりにドイツに行きました。
定期的にある新住協の海外研修なのですが、ここ10数年は私の子供が小さくて「1週間も家を空けるのはダメ!!」と・・かみさんの許可がおりず、スタッフの勉強のためにとスタッフを行かせていました。
ただし、今回のドイツ研修は 『新住協がNPO法人として最後の海外研修』 と 『鎌田先生の室蘭工業大学退官記念』 という名目があったため、私が行くべきかな・・と感じ、10数年ぶりのドイツ視察となったのでした。子供が小学校の高学年になったということで、かみさんの許可が超~珍しく出たことも大きな理由でした(^^;)。
そのドイツ&オーストリア視察では、サッシまわりの考え方に刺激を受けたり、昨今聞くようになった 『パッシブハウス』を提唱しているファイスト先生 と 日本で『キューワン住宅』を提唱している鎌田先生 の ダブル講義を聴くという二度とあり得ないような体験をしました。
この講義の中で一番印象に残ったことは・・断熱や性能ではなく・・、ファイスト先生と鎌田先生が実は30年ほど前に 「同じ時期」 に 「同じ大学」 で 「同じ研究者の下」 で学問を学んでいたという事実と・・、その後、それぞれ、日本とドイツという違う地域で、住宅の高性能化に取り組んで、同じような住宅性能計算ソフトまで開発していたことでした。
(パッシブハウスの計算ソフト:PHPP と キューワン住宅の計算ソフト:Q-PEX)
しかも、お互いに全く知らない間柄ということで興味深さを感じました。
このお2人の研究者も何かに導かれて生きてきた運をもっているのだろうか・・と。
〇 次にその数か月後の5月・・私はNPO法人新住協の登別総会で研究発表することになりました。『NPO法人としての最後の研究発表会』 かつ 『鎌田先生の退官記念』ということもあり、室蘭工業大学の講堂で初めて行われたものでした。
北海道の室蘭&登別での総会は約20年ぶりです。
この登別にはそれなりに縁がありまして・・、私が新住協で初めて研究発表したのが実は20年前の登別総会だったのです(当時25歳くらい)。
その当時、20代半ばで約200人のプロを前に発表するのはかなり緊張したことを記憶しています。
そんなゆかりのある地域で行われるNPO法人としての最後の総会での発表・・しかも最後の発表者ということでおおとりを任されました。
こんな不思議なことが続いてからの土地取得だったので、家づくりには、「パッシブハウス」と「キューワン住宅」に関係する何かをするべきなのだろうと感じていました。
そんな初期構想をしている11月・・タイミングよくというか・・青森の平野商事さんより
「今年ドイツに行った続きのセミナーがあるけど来ませんか?」という連絡が入ったのです。
つづく
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第9話:土地決定後日談
紆余曲折を経て、ようやく土地が決まりました。
その土地は、手に余るほどに広い・・という以外は全ての条件を満たしていました。
その土地には、70坪程度の家と物置も建っていましたが、それは解体して、超高断熱住宅を建てます。
この土地の取得には、その後、単なる偶然なのか・・不思議な後日談が2つほど付いてきます。
① 実は、同じ時期に、私はどうしても実家の田んぼを譲り受ける・・という事情が出来てしまいました。
ただ(無料)同然なので要らないといえば要らないのですが、どうしても引き受けないとならない状況でした。
ただし、農地を譲り受けるというのは簡単ではなく、予想以上にその手続きも苦労して進んでいました。
意図したわけではないですが、なんと、今回購入した「北上市の土地」と「宮城県の実家の田んぼ」の登記完了日が同一日だったのです。
不動産の取得なんて一生に一度あるかないかの作業なのでびっくりです。
本当に単なる偶然なのでしょうか・・不思議な話です。
② もう一つ、土地の前所有者(Tさん)に、敷地に建っている家の鍵を譲り受けに行こうと思い、現在住んでいるご自宅にお伺いしたときの話です。
私は電話で住所を聞き、ナビに入れて向かいました。
そして、その場所に到着したときです。
目を疑いました。
「 あれ・・ナビだとこの家だよなァ・・」
「 おかしいなァ・・。この家は違うはずだ・・。 」
「 もしかして、ナビが間違ってて、隣の家かな・・」
実は、ナビで案内された家には、私は10年前に何度か入ったことがある家なのでした。
その当時、若いご夫婦が中古でその家を購入し、リフォームの相談を受けた家なのでした。
その後、いろいろあって話は進まなかったのですが、その後も2~3度、相談が来ていたのでした。
目を疑った私は、Tさまに電話しました。
私「多分・・ご自宅の前あたりに着いているのですが・・どの家なのかが、はっきりわからないのです。」
Tさん「今、外に出ますから待っててください。」
そう言って、Tさんが出てきた家は・・
なんと・・やはり、その家だったのです。
私の頭の中は混乱してました。
??・・・???・・・
こんな感じです。
私「あれ・・?Tさん、ここに住んでいるんですか?」
Tさん「そうですけど、何かありましたか?」
私「ここを何年か前に購入なさったんですか・・?」
Tさん「いいえ・・」
私 ??・・・???・・・(?o?) ←こんな感じです。
私「実は・・私、この家に10年ほど前、何度か入ってますよ・・」
Tさん「え!?どうしてですか!?」
私「当時、20代くらいの若いご夫婦が、この住宅を中古で購入してそのリフォーム相談で入らせていただきました。」
私「もしかして・・その若いご夫婦は、再度この家を売りに出したのですか?」
Tさん「ああ、私の息子ですね!今は盛岡に住んでます。」
私「え・・息子さんだったんですか・・。不思議な縁ですね(^^;)」
Tさん「ほんとですね・・。そういえば先日、白鳥さんを見ましたよ!。
孫のピアノ発表会で さくらホールに行ったら、
白鳥さんが走って出てきて娘さんとファンモンのピアノ演奏やってましたよ(^^)。
それ見たとき、『あ!白鳥さんだ!』ってびっくりしましたよ・・。
何かとご縁がありそうな感じですね(^^)」
世間が狭いのか・・偶然なのか・・北上市内には何万戸という住宅があります。
その中でのあまりの偶然に、やっぱりあの土地が呼んでいたんだな・・と改めて思った瞬間でした。
土地の迷走・・「完」
話は、つづく・・
【木の香の家 展示場 兼 実験住宅 物語は 5日 15日 25日 に何とか更新していきます。】
次回は年明けてのアップになます。
第8話:土地が呼んでいる その⑥
私が、「『9月中に結論出してほしい』と言われた」・・」というウソの話をした翌日だったと思います。
不動産屋さんから電話がきました。
不動産屋さん「あの土地のご検討は、どんな状況ですか・・?」
私「もう少しで結論出ますが、何かありましたか?」
不動産屋さん 「実は・・あの建物を借りたいという人が現れまして・・、
地主さんのところに行かれたようなのです。
そして既に暮らすための設備関係の修繕の下見まで始めているようなのです。
ただ地主さんから、『買おうかなと考えているかたは、どんな感じでしょうか』・・と電話がきまして、
確認のお電話をした次第です。
できれば9月中に結論を出してほしいそうで、購入しないようであれば、あの家を賃貸で貸すそうです。」
なんと・・多少内容は違いますが、私の言ったウソの話が、本当の話になってしまいました・・・。
かみさんにその話をしました。
かみさん「え?借りたい人? 買いたい人じゃないの?」
私 「買いたい人の話は、俺が作ったウソの話・・。
いつまでも決めないで土地をキープするなんて失礼にもほどがあるから、9月で結論づけようと思っただけ。
6月からすでに3か月もキープしているんだぞ!不動産屋さんにしてみれば迷惑な話だよ。」
私 「そして、借りたい人の話は、本当の話!。
でも、1回借りられれば、間違いなく何年間も暮らすということだから、実質、あの土地は手に入らないということになるね。」
私「いずれにせよ、9月中の結論を出すのは同じだから、タイムリミットが出来てよかったよ」
かみさんは、9月のタイムリミットが正真正銘の話であることに「どうしよう・・」と悩み始めました。
私たちは、今までの経過を整理しました。
① かみさんの誕生日に、超~超~珍しく・・、ショッピングではなく不動産屋さん巡り・・となり、今まで見つけることが出来なかった「ほとんどの条件を満たした土地」
○ 国道から100m ○景色は良い ○駐車スペースは十分 ○学区は変わらない
② しかも、1000万円以下で買える、超激安(600坪が無駄に大きいかな・・)
③ 別の土地Bの地主さんを訪問したら、引っ越していて、既に所在不明
④ 土地Aで配置計画してみようと思い不動産屋さんに行こうとしたタイミングで、不動産屋さんの部長さんが唯一の来社
⑤ ようやく土地Bの地主さんの所在を見つけて会いに行こうとした矢先に実家の火事(150年もの間、起きなかった火事)で地主さんに行く気持ちが消えてしまった。
⑥ それでも、土地Bの地主さんに相談して、案の定 NG
⑦ それでも他の土地をもう少し探してみようという事から、私が「9月中の結論」というウソ話を作ったら、その直後に不動産屋さんから電話が来て、その話が本当になってしまう。
〇「これ以上迷うな」と言わんばかりのタイムリミット発令
私 「これだけのことが続いてるんだよ・・。他の土地を探そう探そう・・とすればするほど、
『こっちよ・・。ここの土地よ・・』って呼ばれているようなものじゃん」
勝手な思い込みかもしれませんが、出来事を並べてみると本当に呼ばれているような感じがするのでした。
かみさんも、それだけの出来事を並べてみて、ようやく「確かにそうだね。この土地にしようか・・」と判断しました。
このかみさんの決定により、ようやく土地選定が結審しました。
かなり、紆余曲折ありながら、ようやく・・ようやく・・です。
疲れました(;´Д`)
9月下旬・・私たちは不動産屋さんの事務所で土地Aの地主さんと土地契約を交わしました。
こちらの地主さんも、非常に人柄の良いかたで、こんな方から譲ってもらえる土地でよかったね・・と感じるほどでした。
その地主さんとは、またまた後日談で、ありえない偶然に驚くことになるのですが・・
つづく
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第7話:土地が呼んでいる? その⑤
150年という長い歴史に終止符が打たれたことで、心置きなく土地探しができるようになった私は、お盆前に土地Bの地主さんに会いにいきました。
土地Bの地主さんは人柄が素晴らしい方で、初めて訪ねて土地の話をするという不躾な私の話をしっかりと聞いてくれました。
お盆明けにお返事をいただくことで、その日はお礼を言って帰りました。
今までの流れから何となく予想はしていましたが、結果はやはり「今すぐ土地を売る予定はございません」という丁寧な回答でした。
これによって、今まで「呼ばれている感」がある「土地A」に絞れたと思いました。
ところが・・、かみさんは「まだ、街に近い場所に良い土地があるのでは」・・と、もっと他を探そうとしたのです。
よほど街から離れる「寂しい感じ(静かな感じ)」が気になるようでした。
ただ、「国道から近く」て、「景色が良く」て、「車の駐車がしやすい土地の広さ」で、「手の届く価格」で、「小学校の学区が変わらない」というすべての条件を満たす土地なんて、何年も探してようやく見つかったくらいの確率なので、金輪際出てこないことは明らかでした。
あきれてしまった私は、かみさんにウソの話をしました。
私 「不動産屋さんから電話が来たよ。
『あの土地に興味を持つ人が出たので9月中に決めてほしいそうだ』...」
というウソ話を・・。
私「あの土地がいやだったら他の人に譲るから、真剣に考えてね」
と話しました。
・・というのも、かみさんは変な直感が働くタイプで、特に不動産絡みではその直感で会社が救われたこともあるほど、神がかり的な判断をすることが何度かありました。
そのため、真剣に考えた上で、土地Aがダメなのか良いのかを判断してもらおうと思ったのでした。
かみさんは、タイムリミットが出来たことで、本当に真剣に考え始めたようでした。
そんなときです。
不動産屋さんから私に珍しく電話が掛かってきました。
そして・・、その電話の内容にびっくりすることになるのです。
つづく
【木の香の家 展示場 兼 実験住宅 物語は 5日 15日 25日 に何とか更新していきます。】
第6話:土地が呼んでいる? その④ -歴史の終止符-
実家の火事という一報を受けたのは12時・・。車を走らせてようやく着いたのは1時半でした。
休日にも関わらず消火活動に携わってくれた地元消防団のおかげさまで、火は、ほぼ鎮火しておりました。
おふくろは放心状態で、親父は出掛けていたため鎮火間際に家に戻ってきて、どうしたらいいのか頭の整理がついていないという状況でした。
建物はというと・・見事に「茅葺屋根の家」だけが焼失し、わずか5mしか離れていない2階建ての納屋にも延焼していないという不思議な光景でした。
なんだろう・・この光景は・・。
不思議な感覚を覚えました。
消防団の皆さんが、両親や私にも「気を落とすなよ」「元気出せよ」と声を掛けてくれて、感謝の気持ちもありましたが・・
この焼失の仕方に、「ひとつの歴史の終止符」という感覚を持たずにはいられませんでした。
この土地での長い歴史に・・ご先祖様が、きれいに終止符を打ってくれたんだな・・。
別の地に土地を買って、「次の時代に進んでいいんだぞ」・・と言ってくれているんだな・・
そう感じることができ、そういう意味で 涙がこぼれてきました。
実況見分でも、おふくろは「私が魚を焼いてコンロの火を消し忘れたのかも・・」と言ってましたが、焼け方の激しいのは厨房とは全く反対側の和室。厨房の魚は生焼け状態だったので、人為的ミスではないと判断されました。
先日までの長雨で、和室側の照明器具の傘に雨水が溜まるほど雨漏れが確認されており、結論としては、和室側の漏電による発火ということになりました。
この建物は、一時、小さな食堂をしていたので、テレビにも紹介されたことがあります。
そのときの映像の写真がこれです。
「茅葺屋根の家で昼寝しませんか?」・・。その真相とは・・という題名の映像です。
翌日、夏休みという事もあり、息子も連れてもう一度実家に行きました。昭和の建物は残っているので、必要最低限の電化製品だけそろえて、すぐに生活は出来たのは不幸中の幸いです。
そして・・落ち着いて考えても、この火事は「よかったんだな」という話が出るほど、
不思議な感覚をみんなが持ちました。
今回は書きませんが、この火事には後日談もあり、
どんな脚本家も描いたことのない、びっくりするような話が出てくるのです。
「日本で初の事例」としての後日談が出てくる 今回の火事は、いろいろなタイミングを考えても、
「起こるべくして起こった、ご先祖様による火事」
としか思えませんでした。
歴史の1ページとして・・、良くも悪くもこの火事を記憶に残すため「子供たちの記念写真?」
(息子に、「寂しそうな顔をしろ」・・と言ったら、こんな顔になりました。
下手くそな演技です。それを見て、娘がこらえきれず笑ってます(^^;))
私は、新たな地域での土地取得と、本格的な歴史のスタートに向かって、心置きなく進むことになるのです。
どの土地が、私たちを呼んでいるのか・・という事にアンテナを張りながら・・。
[ 次回: 土地・・ついに決定 ]
つづく
【木の香の家 展示場 兼 実験住宅 物語は 5日 15日 25日 に何とか更新していきます。】
第5話:土地が呼んでいる? その③ -実家の火事-
「実家が火事!? ホントですか!?」
一瞬、頭が真っ白になりました。
私「どの建物が火事なんですか?」
Sさん「茅葺の建物だって!」
私 「おふくろ と 親父は 大丈夫なんですか?」
Sさん「ご両親さんは大丈夫みたいだけど、すごい火が出ているみたいだよ」
いつも日曜日は打ち合わせなどで予定が埋まっているのですが、この日の日曜日は珍しく予定が空白で、長男をサッカーの練習試合に送って自宅でのんびりしていたのでした。
そんなすぐに動ける状態だった私は、 かみさんと娘が帰って来るなり、実家に車を走らせました。
しかし、不思議と・・「精神的に急ぎ慌てる」・・という感じではありませんでした。
私は、いろいろなことに頭をめぐらしていました。
私の実家は、江戸時代頃に建てられた築150年くらい前の「かやぶき屋根の家」と、「昭和に建てられた家や納屋」が3棟くらいある農家のような感じでした。
その150年経った「かやぶき屋根の家」は、私も小さいころ部屋にして寝ていた建物なので、思い出もたくさんあります。
土地を買って新しい家づくりをする際、実は、心に引っかかっているものがありました。
それは、この「かやぶき屋根の家」なのです。
150年の歴史を考えると、その歴史の重さに、解体することはかなりのプレッシャーなのです。
ご先祖様や多くの親戚のことを考えると、壊すに壊せないというのが正直な気持ちなのです。
しかし、かやぶき屋根を定期的に葺き替えるには、かなりの費用負担があり、とても維持できない。
兄貴は東京、私は岩手、妹は仙台で生活の拠点が出来ており、後を継ぐ者もいない。
「かやぶきの家」が放置されてボロボロになるのを見て見ぬ振りもできない。
土地を買って実家でない場所に住むとなった場合「実家のかやぶきの家はどうなるの?」というのが、いつも かみさんと話に出るのでした。
もちろん兄弟間でも、あの実家はこれからどうすればいいんだろう・・という話は以前から出ていました。
150年間、一度も火事が起きていない建物が、土地を探しているこのタイミングで火事が起きるなんてあり得るのだろうか・・。
そんなのは宝くじに当たるような確率の話だよな・・。
周辺の建物に延焼しているかどうか分かりませんでしたが・・不思議と、「もしかすると、この火事は、『起こるべくして起こっている火事』なのではないだろうか・・」と、感じてしまうほどでした。
他にもこの火事に絡む話があり、そんな会話をしながら実家に車を走らせました。
とりあえず、8月1日の 土地Bの地主さんに会いに行く気持ちだけは、さすがに消えてしまいました。
つづく
【木の香の家 展示場 兼 実験住宅 物語は 5日 15日 25日 に何とか更新していきます。】